2017年、将棋界でデビュー以来29連勝という最多記録を打ち立てた中学生棋士、藤井聡太六段が話題を集めましたよね。
そんな藤井四段とともに、世間から注目されている教育法があるのをご存じですか?
その名は「モンテッソーリ教育」。藤井四段は幼稚園で、モンテッソーリ教育を受けていたそうです。
モンテッソーリ教育を受けた著名人は、他にもたくさんいます。
- ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)
- マーク・ザッカーバーグ(Facebook創業者)
- ジミー・ウェールズ(Wikipedia創始者)
- ラリー・ペイジ(Google創業者)
- セルゲイ・ブリン(Google創業者)
- トーマス・エジソン(20世紀の発明王)
- バラク・オバマ(前アメリカ合衆国大統領)
など。
これだけの歴史を変えた天才や経営者が学んだというモンテッソーリ教育とは、一体どのようなものなのでしょうか?
モンテッソーリ教育とは?
モンテッソーリ教育とは、20世紀初頭にイタリアのマリア・モンテッソーリが考案した教育法で、その基本は次のとおりです。
「自立した子どもを育てる」
モンテッソーリ教育にある哲学とは、
「子どもはみずからを成長・発達させる力を持って生まれてくる。
おとな(教師や親)は子どもの発達段階に応じてその要求をくみ取り、自由を保障し、子どもたちの自発的な活動を援助する存在に徹する」
というもの。
それが難しいのですが!
モンテッソーリの教育を学んで教師となるには最低4年かかります。
大学を卒業するのと同じくらいの学びをモンテッソーリに特化して学ぶのですから、結構な勉強量であることがわかります。
冒頭で挙げた、モンテッソーリ教育を受けたと言われる顔ぶれを見ると、モンテッソーリ教育が目指す人物像
「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間」
そのもののように思えます。
ただし、ここで誤解がないようにしたいのは、
「モンテッソーリ教育が天才を作るということではない」
ということです。
才能の芽を摘まない、原石の磨き方を本人に気が付かせるという解釈が近いと思います。
できることなら、我が子には充実した人生を送ってほしいですよね。
そのためには、モンテッソーリ教育を取り入れていくことも、その一助になりそうです。
モンテッソーリ教育ってどんなことするの? 2歳児編
モンテッソーリ教育をインターネットで検索してみると、次のような情報が出てきます。
- 「遊び」ではなく「仕事」というらしい
- 自立心や自己肯定感が養われるらしい
- 世界の成功者にはモンテッソーリ教育を受けた人が少なくないらしい
- 日本では幼稚園で受けるのが事実上限界らしい
ただし、これらはあくまでネット上の情報。「~~らしい」に過ぎません。
そこで実際に、子どもたちは何をしているのかご紹介しましょう。
日本のモンテッソーリは幼稚園が主流となっており、モンテッソーリの小学校は大変希少ですが、プレを含め2歳頃から通える園が多いようです。
2歳というと「自分で!」が始まる時期です。
まだ言葉もよく話せず、1歳の時には見られなかった異常なこだわりに親は遭遇します。
大人からすると驚くようなイタズラと失敗を繰り返し、「この子は私を困らせるために生まれてきたのか」と思ってしまうこともあるくらいですよね。
この時期は「魔の2歳児」「Terrible Two」と呼ばれていますが、これは自我が芽生えて、「乳児」から「幼児」へと変貌を遂げるタイミングなのです。
自我は、人を人たらしめるものです。わかっています……喜ばしいことなのだけど、げっそり……というママも多いのではないでしょうか。
モンテッソーリでは「臨界期」と呼んでいるものがあり、このような「昨日までしなかったことをするようになる」「よくわからないことに夢中になる」ことを精いっぱい!!支援するのです。
- 蛇口から出てくる水を感じていたい。(水道代?そんなの知らない)
- 箱をひっくり返すとどうなるのかやってみたい。(ママが片づけたばかり?そんなの知らない)
- 紙を破るとどんな感じがするんだろうか?(パパのお仕事の書類?それなあに?)
それが子どもにとっての「仕事」なのです。
モンテッソーリ教育では、すべての好奇心をその子の「仕事」として、その子が何かを得るためのプロセスと捉えます。
同時に生活の基本も伝えていきます。
一般的な保育園でも教える内容から、もう少し踏み込んで、自分で考えるプロセスを大切にします。
「自分で考えるプロセス」とは? どうやって教えるの?
例えば、のりで遊ぶ時にはおしぼりを用意する。
このルールを教えるのにもまず、のりで遊ぶとどうなるのか、まず体験させます。
- ベタベタになった手で顔を触るとどうなるのか?
- そのまま他のことをしようとするとどうなるのか?
- おしぼりがあると良さそうだ。
- そのおしぼりも、濡れていないと拭けないようだ。
- 少し絞らないと床を濡らしてしまうんだ。
- 絞るってこうかな。
- 使ったおしぼりはどうすれば次使うとき気持ちよく使えるかな?
こういった「のり遊び」する際の一連の始末を体験から学んでいくのです。
「これはこうしなさい」と教えられるのとでは、表面的には同じでも、発達として雲泥の違いですよね。
「魔の2歳児」に頭を悩ませた時は・・・
モンテッソーリでは、自発的に学ぶことを少しだけお手伝いするのが親や先生の役割です。
我が家でも、当初はこのような教育法を知らず、
「おしぼりを用意してあげて」
「汚れた手を拭いてあげて、」
最後には洗面所まで抱っこして行って手を洗わせる
……という「お手伝い」いえ、「おせっかい」をしていました。
しかし、モンテッソーリに通うなかで私自身も学び、子どもにかける声が変わりました。
「のり、やりたい!」と言われたら「いいよ!じゃあ、どうする?」と尋ねます。
そうすると子どもは自分でおしぼりを持ってきて、自分で湿らせてセッティングします。
2歳児でもこんなことができるのか……。
いえ、2歳だからこそできるのです。
「まだこの子には難しいだろう」とか「こどもにやらせているといつまでも進まない」と判断して「おせっかい」してしまうのは、せっかく芽生えた自我、つまり自立の芽を摘むことになりかねないようです。
モンテッソーリの園に通わせることができないとしても、考え方を学び、少しでも意識して接するだけでも大きな違いがあるように思います。
「魔の2歳児」に頭を悩ませたら、まずは立ち止まって、
「この子は何を感じているのかな?」
と想像してみるといいかもしれません。